当寺はかって、信濃の国松本の僧 正譽玄齋(しょうよげんさい)が諸国を行脚する途中、この地に来りて笈佛の阿弥陀像をおろし、鉦鈷を前にすえて半時ばかり比治山を見めぐりて帰ると、不思議なことに、人がいないのに鉦鈷の音が山谷に鳴り響きわたり
、これは正しく笈佛ゆかりの霊地と思い、この地に足を留めて、日夜念仏を唱え、毎朝托鉢に出かけるときは、本尊前に鉦の撞木をおけば、この僧の留守にも常に鉦の音がきこえ、このことは自ずから人々に伝わり次第に信者が相集まりて榮山庵という草庵を営み、千日間発願して睡眠せず常念佛を行う。この時、元和三年(1617)なり。 後世、比治山の当寺のあたりを千日谷とも榮山谷とも呼ぶは、ここに起因する。
その後、正譽玄齋(しょうよげんさい)は、承應元年10月15日、いずこともなく草庵をでて再び帰らずその弟子善譽そして紀州小倉の僧白譽へと法燈は受け継がれ、この時、藩士 寺西将監の妻(法名 長性院殿、幼くして徳川家康公に仕える)が銀30貫を寄進し堂塔を建立、ここに良雲山榮山寺長性院と号しのちの正徳4年(1714)良雲山千日寺長性院と改め、爾来約400年二十一代連綿と法燈を護持する。
ご本尊は阿弥陀如来。